「伊勢屋、稲荷と犬の糞」。江戸の街にたくさんあるものをあげつらったものです。江戸時代の犬はリードもつけられていないし、服も着せられていなくて、そこらへんをウロウロしていた模様。世界の遺跡なんかを見に行くと、いまでもそういう犬や猫がのんびり寝そべって、観光客を眺めていたりしますが、かつての江戸もそんなかんじだったのでしょう。勝手に長屋や飯屋に住み着いて、住人も追い払うわけでもなく、ときどき余り物なんかをあたえていたのでしょうね。時代によっては凶暴化した野犬になって、人々を怖がらせたこともあったようですが、まあ、平和共存していたときが多かったようで、当然、道端には落とし物がいっぱい。
伊勢屋という名称のお店も多かったようで、江戸は伊勢商人の活躍の地であったのかもしれません。ろくすっぽ歴史なんか知りませんが、近江商人は商都大阪へ、はみ出した伊勢商人は江戸へ、だったのかも。紀州、尾張、駿府と太平洋沿岸は徳川とゆかりが深いので、伊勢商人が江戸に店を構えるのも自然の成り行きだったのでしょう。
そして、稲荷。私は暇さえあればチャンバラ小説や長屋小説にどっぷりハマっているという世界の住人ですが、長屋小説にはときおり「見取り図」なんてものが載っています。棟割長屋が並んでいて、その一角に必ずと言っていいほど「稲荷」があります。一つの長屋に一つの稲荷? 住人が仕事に出かけるときは「行ってきます、パンパン」、帰ってきたときは「今日も無事におまんまが食べられてありがとさんでござんす、パンパン」なんて、調子だったのでしょうか。街中のあちこちで、パンパン、ペコリ、、、のような。相当な数の稲荷があったことは想像に難くないところです。
明治になって(かどうかは知りませんが)、街が再開発されたとき、多くの稲荷は統合されたり、捨て去られたりしたのでしょう。じゃなきゃ、ビルなんか建てられない! それでも日本橋界隈をはじめ下町的なところにはけっこうな数の稲荷が残っています。小さな路地の片隅とか、ビルの狭間とか。銀座辺りでは、いまでもバーやクラブのママやホステス、板さんなんかが出勤前に立ち寄って頭を下げていくような姿がけっこう見られるそうです。路地の片隅に追いやられた稲荷のほかにも垂直移動したものもけっこうあるようで、例えば銀座三越の屋上には「出世稲荷」が鎮座ましましています。周辺のビルの屋上にもかなりな数の稲荷があるとか。再開発するにしても「神」的なものは潰しにくいですものね。苦肉の策が屋上稲荷という気配が濃厚ですね。
百貨店の屋上といえば、むかしは小さな遊園地になっているようなところが多かったのではないでしょうか。いまでも遊具が並んでいたりするところもあるようです。銀座三越の屋上へは初めて行ったのですが(屋上どころか売り場にも縁がなし~)、なんと芝生が植えられ、テラスのようになっていました。銀座ベースの奥様方?が買い物の合間にちょっとお茶でも、という感じ。庶民でも、街疲れしたときなどは、休憩にいいかもしれませんよ。